風を感じるマンガです。
さらりと読めてしまいます。
文章は少なく圧倒的に絵で語るマンガです。
だから何度でも読めてしまう。
深くしみこむように感じさせる。
ただその感情が言葉にできないうずのようになって体の中にただよう。
だから今回書いてみようと思いました!
最後の戦いが読みたくてその意味も込めて書いてみます。
【合わせて読みたい】
バガボンドとは
1998年~2015年までモーニングで掲載されて、今は休載しています。
もう7年かぁ。
仕方がないかなぁっと思います。
とらえるべき対象も、作者もあまりにも天才すぎて、もういくらでも待つしかない作品です。
人が追うには深すぎる衝撃とか空白とか流れとか、そういったものをとらえることができた天才たちの話です。
宮本武蔵を語る物語で、剣術の物語なのに、感じるのは圧倒的に風のイメージです。
井上雄彦さんが風を感じるマンガ家ですが、人を殺して人が死ぬ物語がさらりと、ふわりと流れていきます。
そこにドキリとします。
話が進めば進むほどに、力強く武蔵に立ち向かう者たちはさらりと倒されていきます。
カッコいいからと、えらくなりたいからと、出世したいからと自身もそうして出てきたはずなのに、彼の者の本質は欲望を身にまとう武者ではなくて、体についたおごり、高ぶり、エゴ、欲を捨てていく、僧侶のような旅でした。
その流れのことを私は風と感じるのでしょうね。
とても絵がさらりとして、あまりにも深くて涙が出そうになります。
戦いの物語
以下バガボンドのネタバレを含みます。
戦いを戦いで洗うように、武蔵は敵を求めてただひたすらに歩きます。
血で血を洗う戦いから、血を流さない戦いへ。
イノシシのように力任せの戦いから、その先へ力を越えたコツの戦いへと。
どんどんどんどんそぎ落とされていきます。
それでも血、沸き、肉、躍る戦いが燦然(さんぜん)と輝いて武蔵のところに降り注ぎます。
天下無双、天に並び立つものがなくなるそのときまで戦い続ける。
その旅の本質がとてもさみしいもので、人が求めるには高すぎる理想だと、歩く武蔵を見ながら私たちも気づいていきます。
そこには誰もいないはずだから。
それでも、最強に至るための戦いは見ていて胸がはずみます。
柳生
その戦いの中でも柳生の話が一番心に沁みます。
一つの城相手に、てっぺんを獲るまで競い合う。
複数対一人の戦い。それぞれが名腕の柳生の使い相手。
将軍家指南役、その実力者たち複数を相手に武蔵は苦戦をしいられます。
その中で獣のように気が充実して、柳生の中の柳生、石舟斎を感じ取り、おつうの手引きもあって一人のじいさんに出会います。
武蔵が会ったどの武芸者とも違う異形の剣を使う人でした。
優しく包み込むような、自分自身と戦っているような。
じいさんは病の床で休んでおり、またぐらを孫の手でぼりぼりとかいて寝込んでいるだけです。
なのに斬りこめない。
このじいさん好きだと思ってしまう。
この人は自分を育ててくれた山と一緒だと思います。
天下無双というイメージは武蔵の中で父でした。
でも違った。
比べたり、並び立つものが居なくなるまで競うのではなくて、一つの山としてあり、そこに住むものすべてをやしなう存在、それが柳生石舟斎でした。
お釈迦様の手の平から出られなかった孫悟空のように。
武蔵もその大きさを知って、その懐に抱かれている自分を知りました。
じいさんが起きて剣を持ったとき勝負はもうついていました。
武蔵が頭を下げます。
自分には大きすぎたと。
天下無双とはただの言葉、近づけば消えてしまった。
この物語のはかなさと可憐さを併せ持つ言葉だと思います。
たしか中学生のころか、この柳生の話を読んで、自分が読んでいるものがなんだか分からなくなりました。
スラムダンクが大好きで、バガボンドも大好きで、ワンピースやハンター×ハンターと同じように、最高の戦いを求めて読んでいたら、まさかの山の中にいました。
えっえ?
てなります。
でもそこは不思議と懐かしく落ち着いた匂いがして、ここからバガボンドで風をよく感じるようになります。
バガボンドを唯一無二の物語にしたエピソードが柳生編かなと思います。
吉岡
血でできてしまった縁の話。
吉岡道場の次男伝七郎との戦いを引き分けて、1年後の再戦で武蔵はあまりに大きくなりすぎていた。
伝七郎も強かった。
だがそれ以上に…
吉岡兄弟を殺してしまったことで血の縁が結ばれて、武蔵を苦しめます。
戦いの螺旋、作中の言葉を借りればそうなります。
70人対1人の戦い。
それはすでに戦いにすらなりません。
ぐちゃぐちゃです。
血で血を洗う戦い。
有力な吉岡の剣士たちが次々と武蔵に戦って敗れます。
群れとして武蔵を狩ろうとしたり、自分ごと斬らせようとして部下が切れずに敗れたり、だまし討ちをしてとらえきれなかったり、自分が斬って作られた縁に、武蔵はこれでもかと苦しめられます。
人がそんなことできるのかという戦いです。
でもこの戦いで武蔵は大いに傷ついて、そしてその中でも剣を研ぎ澄ませていって、自分が求める望む場所はどこなんだろうと探し始めます。
具体的に農業をします。
農業
農業編に入る前に木彫りの仏像を作っている大家族に出会います。
そこで武蔵は助けられ、家族というものに触れます。
嫁の世話をしてもいいと言われ、おつうの顔が浮かんで断ります。
自分は幸せになってはいけないと。
70人もの人生を終わらせた自分にはその資格がないと、懺悔するように絶望の表情を見せます。
これが望んだものを手に入れた者の顔なのかと思いました。
読んでてゾクゾクしました。
そこから武蔵は領主にさえ見捨てられた土地で畑を耕しはじめます。
なれない手つきで畑を耕し、暴徒から村を守ったことで村の中心のようになります。
その中で、子供に言われたセリフが面白いです。
天下無双なのに、武蔵なのに、なんで畑なんか耕すんだよって。
そんなつまんないことよりも、輝くすげー栄光をあんたは持ってるんだろうと。
しょぼくれてんなと。
でも暴徒を倒しながら、効率的に敵を倒して、かまして逃げ出させながら、武蔵は自分は喧嘩が強かっただけなんだなぁっと凹いでいました。
そんな武蔵がかわいくて好きです。
そんなことよりすげーぞ農業と。
なんだこれ無から有を生み出している。
努力の結晶ではあるけれど、人間にこんなすげーことができるのかと、武蔵はのめりこんでいきます。
そして田は稲穂を垂れ、武蔵は小川家へ行くことになります。
最終決戦
残す戦いはたぶん佐々木小次郎との一騎打ちしかないと思います。
小川家で再開する二人。
耳が聞こえないというのがバガボンドの小次郎の特徴です。
剣技は武蔵より秀でています。
又八という武蔵の友人が、すでに老齢になって、昔話を語って聞かせるシーンがあるのですが、もうここからは楽しい話はない、逃げてしまおうかなと言っているシーンがあるので、最後は残酷な結末なんだろうなと思います。
どう描くのか。
描かれるのか見たくて仕方ないです。
たどり着いていないからなのか。納得できていないからなのかわかりません。
ただ何度でもそれまでの過程を読み返して、先を夢想してそれだけで十分楽しめるのがバガボンドです。
見たくもない人間の醜さ、自分の小ささ、それをまざまざと感じさせる作品です。
読んでいても心が痛いので、描いていたらさぞ痛いと思います。
そんな作品をここまで描きつづってくれた作者に脱帽です。
バガボンドとは?
傑作です。
終わっていない作品にかける言葉ではないと思いますが、その在り方もすべてが他のマンガを超越しています。
ベルセルクと似ているところがありますが、また違った形で違う側面から世界の中心をとらえているのが面白いです。
ベルセルクよりも重くないのも特徴です。
そのため何度でも読み返せます。
殺した人の数ではガッツと武蔵は大差ないと思うのですけどね。
武蔵の旅じたいが重さを取る旅だからということでしょう。
他に類を見ない特別な作品です!
どれだけ長くても先を待つつもりです。
ただできれば生きてる間に完結をむかえたいなぁっとそれだけは思います。