またまた久しぶりになってしまって申し訳ないです。
久々に介護の話題です。
私が勤めているのはグループホームという認知症の方が9人で住んでいる施設です。
そこで看取りのケアというのを初めて行いました。
こういう亡くなり方いいなぁっと思いました。
看取り
たぶん昔はこういう感じの逝き方が多かったんだろうなぁっと思って、これからこういう亡くなり方がまた増えていくのかもしれないと思ったのでシェアします。
以前国保連(国民保健連合会)で受けた研修で、枯れるように亡くなるのが人の死だ。人の成長の過程は緩やかな脱水への旅だと言われて、感動しました。
医師の長尾和宏さんの講演です。
介護の現場で末期癌のお客さんが最後家に戻って来れて、その最後の1週間くらいを介護することはありました。
病気でほとんど食べられず、飲めず、口を湿らせるくらい。
排泄するものも無くなり、意識も朦朧として、気がつけば亡くなられていました。
グループホームでの看取りは、もっと長いスパンでゆっくり脱水して行く流れでした。
枯れるように亡くなる
自分の口から食べられるだけ食べて、もう無理に食べさせないで、飲みたい時に飲みたい分だけ飲み、水分中心の生活になっていきます(エンシュアという栄養剤が中心でした)
無理に食べさせない生活にすると、ひどく元気そうなとき、さっぱり顔をしていることが増えました。ほっとしたような。
とても印象的でした。
看取りの初期は体調の変化が激しく大変だなぁっと思っていましたが、あるところから介護が楽になります。
起きられた瞬間に食事をできるだけとってという感じでしたが、起きられる時間が極めて少なくなって、寝ている間に爪を切ったり、髭を剃ったり眠っている姿を見守る時間が増えました。
ご家族が面会に訪れて、起きているところに会えたり、眠ったままだったりさまざまでした(ただやはりご家族の声だと起きられることも多くて影響が大きいです)
そして水分を一口も飲めなくなり、苦しそうな時に少し口を歯磨き用のスポンジで湿らせて、血圧も酸素も測れなくなって、指先まで酸素がいかなくなり紫色になって、1時間もしないでご逝去されました。
私は見られませんでしたが、亡くなる1時間半前に肩で激しく息をする様子を見た人がいて本当に人って亡くなるとき肩で息をするんだなぁっと知りました。
(枯れ果ててそんな体力ないように見えたので驚きました)
亡くなった時の顔は、しばらくは瞼を瞑っていることもできなくて少し怖い感じでしたが、その後目を閉じると穏やかな顔でした。
介護の希望
その亡くなり方は、病院で苦しみながら亡くなった自分の祖父と比べていいなと思いました。
寿命があるのって幸せなことなんじゃないかと思いました。
終わりがデザインされている。
もういいよって誰かに言われるタイミングがあって、そこからは薬も食事も医療も無くなって、苦しみを取るためにエアマットが入って、酸素が吸えなくなった時に酸素吸入器や苦しみを取り除く座薬が処方されて、でも結局薬は使わないで、昼間の一番スタッフが多くてまだドタバタする前の時間に逝かれました。
医療で長く生きながらえることの苦しさを見ていたので、こうやって亡くなることができるんだと知ってこれからの人生に希望を持てました。
介護というものの行き着く先が無理矢理生きながらえて苦しみを増すのではなくて、いかに人間らしく終わっていくことができるのか。
そうできるかもしれないことがとても嬉しかったです。
貴重な体験でした。
亡くなる瞬間に立ち会えたことにも感謝です🤲