SOSとは(SそうO思ったらSそう)と講演家の鴨頭嘉人さんが言っている言葉です。
現実は自分で創造しているっていうことです。
それを聞いて考えたことを書いていこうと思います。
現実を創造するために考えておかなければならないんじゃないかなぁって考えている前提の話です。
けっこうヤバい考え方かもしれないです。
認知症って脳の病気なのだという話ですが、本当にそうかなぁってクマは疑っています。
この体を少しでも健全に維持するために見たくない現実を見ないよに発症する場合もあるんじゃないかなぁって思っています。
(本当に脳の血管が切れてっていう場合の認知症もあります)
認知症って体が選んだ最善の選択肢なのではないかっていう話です。
それからクマの友人や知人の中で自分から不幸になる人って一定数いる気がしているのですが、それも自分で選んでいる場合があるんじゃないかなぁって思いました。
自分というか本能が選んでいる場合ですね。
体を維持するために必要なのは刺激と自己肯定感だと思っています。
自己肯定感っていうのは承認ですね。
なので承認の前段階である注目が集めたくて、人は不幸な選択肢をとるのかなぁって思いました。
不幸って刺激と注目が集められるのでコスパがいいっていう話です。
(そう考えると退屈は人を殺すんですね)
なんで不幸になる人は合理的な選択肢をとって不幸になっているんじゃないかなぁって思いました。
この体を健全に保つ必要がある体(本能)の方がそうしているんじゃないかなぁって思いました。
あと体(本能)って全体のことを考えているので、個人としては不幸でもそれによって全体が満たされるのであればその答えが正解ってことになっています。
(もしかしたら世界が平和になってきているのは各国や努力のおかげではなくて、エンタメが供給される体制ができているので、不幸や殺人、戦争っていうエンタメが必要なくなったからではないかなぁって思いました※全世界の事件がリアルタイムで入ってきますしね)
すごいことに勝手に設定されています。
幸せになるためにはこの設定を認識しておかなければならないなぁって思います。
流れに逆らうと大変なので、上手にその設定を生かして行動しないと自分が本当に目指している場所にはつけません。
世界は合理的な選択肢をとって今の形になっているんだなぁって考えました。
それを絶望と取るか希望と取るかもまたその人それぞれかなぁって思います。
クマは上手にその仕組みを使って幸せになりたい😄
そう思いました。