小林さやかさん(ビリギャル)の話から、悪について考えてみました。
さやかさんの話で、坪田先生が『君の努力をみんな理解しない』それが1番目を背けたいところなんだ。って話がありました。
1番目を背けたい場所とは、努力すれば叶う夢を努力せずに怠惰に食い潰している自分だと思いました。
で、悪についてという話なのですが、宗教論とかで言い尽くされていたらすみません。
悪とは神より簡単な救いです。
神は信じなければ救ってくれませんが、悪はその場に存在するだけでみんなを救ってくれます。
努力しないみんなの地位を上げてくれます。
もっと悪いことをする人がいて、その人が落ちてくれることで相対的に自分の地位が勝手に上がります。
甘い毒だと思います。
これがもしかしたら人がゴシップ(悪い噂)を好む理由なのかなぁと思いました。
※生物学的に悪い情報の方が死に至ので優先順位が高く設定されているという事は別に置いておいて。
悪を捏造できます。
神は努力しないと認めてくれないし、下手すると努力しても認めてくれません。
悪は違います。
その場にいて人を堕落させようとする人が居てくれるだけで、コンフォートゾーンから抜けないで地位が上がります。
宗教が人民のアヘン呼ばれるのは多分、宗教には敵(悪)が必要だからではないかと思いました(正義を定義してくれるが故にです)
働きアリと働かないアリ、2割、そこそこ働くアリ6割、この割合が崩れることがなく、働くアリだけ取り出しても、また働かないアリだけ取り出してもこの割合に戻る。
すごくいろいろなところで言われている話です。
簡単に言うと成功の座席の数は埋まっています。
そして組織が生きるために働かないアリは絶対必要です。
この割合を崩そうとすると言うことは、その分誰かを働かないアリに落とす必要があります。割合が崩れてしまうのは種として悪ですから。
なんでほとんどの人はできないし、しないです。
ただし負け組でずっといられて納得できるかどうかは別です。
階級が決まった社会ではずっと自分がその階級から抜け出せない。その膿んだ感情から生まれたのが宗教であり、救いであり、その場にいるだけで自分を救ってくれる悪の存在なのかもしれないなぁと思いました。
夜勤明け、徹夜した後のボケた頭で考えたことでした。