才能について面白いYouTubeを見つけたので、才能について考えてみました。
1度辞めてみるとか悩んだ時点で向いてないよ。とか才能について率直に語られていたのですが、自分の経験から向き不向きについて考えてみると
頻度と密度が問題なかなぁと思いました。
頻度ってのはどれだけの頻度でそれに接するか、密度というのはどれだけの深さでそれに接するかになります。
好きを仕事にする危険はっていうのは、自分の好きがどのくらいの距離と速度に耐えられるか分からないでやるからかなぁと思いました。
逆にそれを実験しまくって、自分がどのくらい好きかわかった上で仕事にするならありなのかなぁと思います。
副業やボランティア、体験講座などから初めてみる。
そしてよかったらさらにやる頻度や密度を上げてみる。
それを繰り返すことで才能ってわかるのかなぁとクマは思っています。
クマの場合すんなり才能というものに巡り合えたことがないです。
向き合った瞬間に頭にすんなり入ってくる。向いているのが自分でもわかるって状態に慣れたことないです。
介護を始めた理由も『パチンコ屋でお年寄りにモテたからチョロいと思って』という短絡的なものだったので、逆にダメならそれからすぐ距離を取ることができました。
距離を取ると自分の好きが確かにわかるなぁと思いました。
最初の結論は介護というか家事全般向いてないかも知れないでした…
まぁ今では家事全般ふくめてわりと好きです(得意とは言っていない)
あと好きであらなければならないと思い込むと、距離が取れずに地獄になるかも知れません。
人を褒めることができる素直にすごいと思えるのも、あれこれ最強の武器じゃないかって気づいて見方を変えて才能だと思ったことが大きいです。
何かができないのも大きな才能なのかなぁと思いました。
物覚えが悪い+不器用=仕事ができないではなく。
物覚えが悪い+不器用=人を褒められる才能がある。じゃないかと気づいたことです。
そっちの才能に気づくコツはポジティブであることなのかも知れないと思いました。
また人に会っても負担じゃないってことが才能だと気づいたのは、人間嫌いの友達2人の助言です。
才能がないってことは誰かの才能を測ることができる。
行動しないことには結局それらはわかりません。
致命的じゃない失敗は才能を見つける宝庫かも知れないなぁと思いました。
あと才能の話で母親について思い出したので考えてみました。
クマの実家は八百屋をやっています。
母親に対して父も叔母も商売の才能がないと言っていました。
私の目から見てもそうでした。
ただそれが結果とイコールじゃなかったです。
才能がないことを理解して、やるべきことをやる。
そうすることで結果が出ることもあると思いました。
必要なことをするために必要だったのは覚悟だったと思います。
才能がないから覚悟が決められた。
父と叔母は才能があったから逆に辞めるという覚悟ができなかった。
そこそこの結果が出てしまうから。
実家の場所で働いてもお客さんが来ないので、市場の中で商売をやる権利を買ってそこで勝負しようと決めたのは母でした。
結果クマの実家はいまだに八百屋として商売できています。
めちゃめちゃ大変そうですけどね。
才能っていうお話でした。