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そのほか、死

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介護をやっていて1番よかった気づきは、死に対してネガティブなイメージがなくなったことです。そのことをすっかり忘れていて、ひさしぶりに思い出したのでシェアします。

 

死ってまぁいろいろな形でくると思うんですけど。

 

介護で何人か見送って、私は自分であるから死ぬんだと思い至りました。

 

どう死ぬかってその人だなぁって思いました。

 

自分という傷があるから私がいて、その傷を抱きしめて生きるから、私はその傷が元で死ぬんだなぁと思いました。

 

ストレスを抱えてもカッコよくありたい人はそのストレスで死ぬだろうし、なにをしても死にたくないっていう人はその生命力の行き着く先が死だろうし。

 

抱えている不足感が私の歩く人生を決めているから、欠けているから始まるので満たされた人生なんて、たぶん一瞬しか価値がない。

 

最近ナイトメアってモンスターはなぜ悪夢ばかりを見せるのかって話を『ダンジョン飯』って漫画で読んだんですが、幸せは一定で形が固定化されているので飽きるが、不幸には際限がないからみたいなことが書いてありました。

 

天国より人をよく見たいなら地獄だなってイメージはあります。

 

でも天国も地獄もなくて、この現実をどう見るかだけ、善も悪も宗教用語であって、言葉自体が物事のデフォルメなんだと気づくと、物事の本質を語ることは不可能なんだって知れます。

 

つまり自分次第だとわかると思うんです。

 

天国か地獄か自分次第なんです。

 

で、その私が私として生きると死がある

 

死は私を完成させる。

 

って書くとなんか意味がずれるんですけどね。

 

死因私の方が近いかな。

 

言葉って影みたいですね。

 

本質を正確に写しているようで、そうでもない。

真実の一面であって、空気までは伝えられない。

 

最後ずれましたが、介護を通しての気づきは、そんな感じです。

 

なんでこんなこと思い出したのかというと、『今日の夜12時でなにをしても死ぬならなにを思うか』って問いを受けてです。

 

よかったら皆さんもちょっと考えてみたら面白いと思います!