今ではファンですが、ちょっとまえまで知りもしないのに西野亮廣という名前に嫌悪感を感じていました。
知りもしないのにと言うのがポイントです。
今回は西野亮廣という名前に対する心の反応を考えてみます。
ナンパした子と西野亮廣さんの話になったとき、以前自分が感じていたことをまんま言っていました。
『信用させて金しぼりとってるんじゃない?』
『宗教だよヤバイよ』
彼女まったく西野亮廣を知りませんでした。お笑いが好きということでYouTubeの話になり、最近はまってるとクマが伝えて出た反応でした。
これ昔の自分だなと思いました。
人柄も、漫才も知らないでなんならテレビですら見たことなくて、名前だけは知っていたけど、なにかよくわからないことをしていて、話題になっている人というフォルダに入っていました。
それが強烈な嫌悪感をもって語られる理由は、知らないということに対する嫌悪感だと思います。
もっと言うと芸人という分かりやすく人を楽しませるなじみの存在が、よくわからないことをする。
なじみの場所、なじみの空間に見知らぬものがある恐怖。
しかもなんだかわからないがスゴいことをやってるらしい。
簡単に言うとサルの反応なんだろうなぁと思いました。
本能から出る反応だと思います。
知らないとは嫌いと言う感情とよく似ているそうです(西野亮廣さんのYouTubeで聞いた話です)
それと同じくらい知らないは怖いという感情と似ている気がします。
まあ数年前はネットワークビジネスとか流行っていた時代ですし、知らないことで稼いでいる人は詐欺師が多かったのも事実です。
ただ火を恐れたままだとここまで人類は来れなかった。
新しいものを否定していると取り残されてしまいます。
現代はその流れが急でしかもパッと見にわかりにくくなったと思います。
アンテナを立ててないと取り逃しています。
現在コロナっていう嵐の中でそっと輝きを増す西野亮廣を見てそう感じました!