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そのほか、欠けから見る宗教と戦争

※今回戦争と宗教に対する過激な考察をしています。そういうのが不快な人は見ないでください。

 

人の欠けは生きるために必要なんじゃないと考えていたら、日本と海外の宗教の違い、そこから発展して戦争の意味がわかりました!(わかった気になっただけです)

 

海外の宗教は生きるため、さらに言うと国をまとめるために必要だったのじゃないと思いました。

 

人為的に作られた生きる理由が宗教じゃないかと思います。

 

だから物語がある。

というか生きるためには物語が必要なんでしょう。

 

日本の宗教それとは少し違ってまっとうに生きるためにある気がします。

 

日本神道のお天道さまが見ている感覚。

その感覚がなくてもいいけど、その感覚で生きた方が尊敬するよね。というノリの気がします。

 

だからお天道さまが見ていて喜んでくれると感じたことで実はなにやってもOK。

 

新年に下着をぜんぶ新品にするとか、掃除はきちんとしようとか、ぎゃくに人を殺しても、お天道さまが見て恥ずかしくない生き方であればすべてよし。

 

判断者は神の意思をくんだ人にゆだねられます。

 

ここらへんはイスラム教のコーランを読んで得た教訓ならすべて正しいと似ているかもしれません。

 

また人の欠けから考えると戦争はたくさんの人間に生きる意味を与えるために起こっていたのではないか?

という疑問が湧きました。

 

もちろん人類が農耕を覚えて村ができて食料の備蓄があり、それを奪った方が楽じゃんというエンターティメント的な側面が強いこともあるのでしょうが、生きる意味としての側面も強かったのではないかと推測します。

 

戦争により人が減れば悲しむ人がでます。

自分の片割れを殺された痛みはそれこそ疑似的な死に匹敵します。

 

それが生きる意味になるうるのではないかとクマは考えました。

 

恋人を殺されその未来を奪われた人はその死の疑似体験をして、敵を恨み復讐に狂います。

それを見てコミニティのほかの人たちも疑似的な死を感じ、そうなりたくないということで国を守ろうとします。

 

もしかしたら宗教も戦争もどちらも、

国がその寿命を長らえるために生み出された栄養剤なのかもしれません。

 

国という化け物の力を一時的に高める気付け薬が戦争で、弱った国をまとめて生かす点滴が宗教ではないかとぼんやり考えました。

 

まぁ宗教には考える力を奪う副作用がありますし、戦争は命の消費が激しすぎます。

 

気付け薬が核で禁止され企業が国を超えて発展する現代。

考えない宗教がまた流行って停滞をまねくのか(AI教とかありそうです)、はたまた刺激を求めて脳にメスを入れてマトリックスの世界を作るのか。

 

クマは楽しみの方が今は強いです!