欠点、問題、悩みというものは人が生きるために必要なのではないか?
と最近考えるようになりました。
掃除をしていてもあんまりにきれいにしすぎると、社員の能率が逆に落ちて最悪調子が悪くなるときがあります(会社の事務所を掃除していて発見しました)
また仕事でも問題をすべてなくそうとすると、自分という存在を消し去ることになりうるので、無意識に残そうとしていると感じます。
(ずっと残っていた仕事は、引き継ぐとなった瞬間に終わらせることができました)
それらの欠けは現実世界で生きるための世界との接地面じゃないかと思います。
足に感じる体の重さみたいなものと言いますか。
だからこそあいまいさが必要になるのではないかと思います。
スカッとした物語は美しいが、生きる意味にはなり得ない。
人が生きるための物語は地べたを這うような物語が似合っているように思います。
いびつな形の方が生命力が高い気がしてます。
だからこそ、不合理に人はできているんじゃないかと思いました。
そうすれば最後まで無になるのに抗える。人間が美しくあるとさらに美しい死の瞬間に踏ん張れずに終わってしまう。
完成しない物語それが人という生命の始まりじゃないかとさえ思います。
どうも言い回しがロマンチックです。
間が抜けることで自分という物語がはじまる。
問題がなく不合理でなければこの物質世界の強風に耐えられないと思います。
また自分の中心が欠けていて、欠点を持つことで人は他者とつながれる。
欠けがないと人と繋がれない。
それからどうしても自分で自分は見えないようにできています。
人を通してその反射でしか人は自分を見ることができないように感じます(また人という生き物は自分の価値を人を通してを知りたがります)
自分という存在が見たくてたまらないのに、他人なしでは自分という存在を確認できないところに人の面白さを感じます。
生きることが簡単だと人はここまで生きようと思わなかったのではないか?
ここまで進化しなかったんじゃないかと思います。
なんだか今回はとくに散文的になりました。
言いたいことはなんとなく伝わったかなぁと思います。
欠点を愛しましょうという話です。
その欠けている部分に価値があるから。