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そのほか、人と神あるいは物と人

この世界には物(神)と人がいる気がします。

 

で私は物(神)にあこがれた人だったという話です。

 

現在の世界はあまりに人が大多数を占めているので、ごくあたりまえにこの世界は人を含めてすべて物であるという事実。それを忘れてしまっている気がします。

 

少なくとも私は忘れていました。

 

なんでこの人間の世界にあがらえなくて、子供のころ右往左往して苦しくて、生きているのが怖くてたまらなかったです。

 

で、気づいたわけです。

 

世間が正しいとしている常識から外れている人間が何人かいることに。

 

で、わりとその人たちラクではなさそうですが、楽しそうに生きている。

なんでその人達にあこがれました(いまの友人達です)

 

でやってみたことですが、ストレス発散もかねて頭の中で自分を1日に何度も殺してみるということでした(死体は物なので)

 

1年で10000回、10年で10万回くらい殺していたと思います。

で、あるところから世界を物として感じられるようになります。

 

ですがこれが結構しんどい。

自分に毎日ダメ出しした結果ですから、そりゃキツいです。

 

で、自分では完全に物になれたと感じていたのですが、歩きながら呼吸しながら、ふとした瞬間に自分が出てくる。

 

鼓動というのは生きているというのは、自分であるということなんだなぁと思いました。

 

歩くたびに自分という存在が再生していくのを感じました。

 

おかげで病気にならずにはすみましたが、物であれた瞬間は一瞬でした。

 

ただその瞬間は悟れたような気がします。

私のような人間にはキツい世界でした。

 

あまりに美しいすぎて、人間のような不純物は存在する必要のない世界。

 

ただその不純物こそが人を人たらしめるクセというか欠点だと思いました。

 

あまりに美しいその世界では自分という存在の欠落をつきつけられます。

で、なんでそんなものが存在する必要があるのか分からなくなります。

 

いや、物の世界では人は存在する必要ないので。

1人であるなら。

 

ここから私なりの結論になります。

 

人は誰かに必要とされるために生きている。

 

1人だと驚くほど弱いのが人間だと思います。

だから誰かに肯定される自分であること、それ以上に誰かを肯定できる自分であることが何より大切だと思います

(これが行きすぎて『かくあらねばならない』になるとそれもまた苦しいです。たぶんその状態を腐っていると呼ぶのだと思います。物であるのと同じように感じる心を無視しています)

 

私があこがれた物の世界では私は立っていられませんでした。

 

友達には才能があったのだと思います。

私にはそういう生き方はできなかった。

 

それが不幸だと考えていた時期もありました。

強がってみたときもありました。

 

根拠のない自信でできると勘違いしていたときもありました。

 

ただ物であるというのは『当たり前』で、誇っている時点でそれは別物であり、無理しているということに気付いていませんでした。

 

さて夢破れた私ですが、それはそれで誤りを楽しむ才能はあるみたいです。

 

いまは自分という欠落を思うぞんぶん楽しむつもりでいます。

 

あと自分たちのいるのがその美しく残酷な世界だと知ること、それはとてつもなく大切な悟りでした。

 

そして死とはその美しい世界の一部になることだと、この考えが根底にできたことは悪くないと思っています。